2025.07.29
「面倒くさい」を「気軽に」に変える新たな健康増進モデル
―地域に根付いた薬局との連携による成果も―
特定健診の受診率向上は、多くの自治体が抱える共通の課題です。糖尿病をはじめとする生活習慣病の重症化予防には早期発見と継続的な管理が不可欠である一方、「面倒だ」「時間がない」といった理由から健診を敬遠する市民も少なくありません。
そんな中、千葉県松戸市は、市民がより手軽に健康状態をチェックできる「健康の入り口」として、市内の薬局と連携した無料の簡易血糖検査(HbA1c測定)事業を開始しました。本記事では、市民の健康意識を効果的に高め、特定健診受診へと繋げる松戸市の取り組みについて、松戸市の浅井様と松田様、また医薬品卸の岩渕薬品の加藤様、萩谷様、檀谷様にお話を伺いました。
■課題と「薬局」という解決策
―どのようにして保険薬局で簡易血糖検査を行うようになったのでしょうか。
松戸市は以前から、糖尿病関連の数値や特定健診の受診率に課題を抱えていました。特定健診の受診が進まない背景には、市民からの「面倒くさい」という声が多く聞かれ、市は市民がより手軽に健康状態をチェックできる場を模索していました。
この打開策を探る中で、大きなきっかけとなったのが、松戸市糖尿病・CKD対策推進ネットワーク会議における松戸市薬剤師会からの情報提供でした。松戸市はこれまでも禁煙支援やフレイル予防など、様々な分野で薬剤師会との連携を深めてきた実績があり、この関係性が今回の事業推進の土台となりました。先進自治体の事例も参考に、薬局での簡易血糖検査事業の可能性を具体的に検討し始めました。
実際に薬局で簡易血糖検査をするには、薬局内に検体測定室を設置する必要がありますが、複数の薬局がすでに検体測定室を設置していることがわかりました。そこで、薬剤師会から、「この事業に一緒に取組んでくれませんか」とお声がけしたところ、8薬局が手上げをしていただきました。さらに、薬剤師会会長が新たにご自身の薬局に検体測定室を設置してくださいました。令和6年度、この9薬局を協力薬局として事業がスタートしました。
―HbA1cを薬局で測るメリットはどのようなものがあるのでしょうか。
市民が面倒だと感じる心理的ハードルを下げるためには近くで簡単に検査ができることが重要だと考えました。そこで数分で結果が分かり、直近の食事の影響を受けにくいHbA1cを測定する簡易検査を利用し、まずは手軽に検査が受けられる状況を作りました。これにより、市民は気軽に自身の血糖状態を知ることができ、もしもリスクが高いという結果が出た場合には薬剤師の方から医療機関への受診を促していただき、全ての方に健診の受診をお勧めするという導線もつくりあげることができました。
―市民にはこの取り組みをどのように伝えていったのでしょうか。
事業の周知活動も積極的に展開しました。市の広報誌への掲載に加え、ポスターやチラシを作成し、公共施設や自治会掲示板など、市民の目に触れる場所に広く掲示しました。さらに、新聞やインターネットのプレスリリースなど、メディアにも多く取り上げられたことで、事業への注目度が高まりました。また、検査を受けた市民の方が「簡単に数分で結果が出たよ」という好意的な感想をお知り合いに話してくださって、人づてに広まったというのも事業を後押しする重要な要素となりました。
簡易血糖検査のチラシ(令和7年度版)
■地域に根差した企業からのサポート
―医薬品卸の岩渕薬品さんのご協力もあったとお聞きしましたが、企業との連携についてお聞かせください。
岩渕薬品さんには、この事業を始める前に松戸市で行った健康イベントのときからご協力いただきました。健康関連企業や団体がブースを出して、市民が健康づくりの取り組みに出会えるというイベントだったのですが、その中でHbA1cを測定してその場で結果を返すというブースを市で出展し、岩渕薬品さんには機器や必要な物品について、細かなサポートをしていただきました。その経験が、今回の事業のイメージにつながったところもあります。
―岩渕薬品様のほうでは、どのような思いで事業をサポートされたのでしょうか。
岩渕薬品 加藤様:弊社は千葉県を活動拠点とする医薬品卸の会社として、今年で111周年を迎えます。弊社社長には、“次の百年は地域の恩返しをしたい”という思いがあり、本来の医薬品卸の仕事以外に地域をサポートする部署を2020年に立ち上げました。この頃から松戸市さんとは関わらせていただきました。もともと薬剤師会とはお付き合いがありますし、弊社も今回の事業をお手伝いさせていただきました。HbA1c検査には試薬が必要なのですが、試薬をしっかり安定供給するという本業の使命を第一に、今後の事業の広がりの面でもお役に立てれば嬉しいです。
■初年度の確かな手ごたえと見えてきた課題
―初年度の実施件数はどれくらいだったのでしょうか。
令和6年度に初めて実施したこの事業は、9薬局の協力薬局でスタートしました。5月中旬~3月末の約11か月で、324件の検査が実施されました。検査を受けた方の年齢層は70歳未満が約6割、70歳以上が約4割という結果でした。この取り組みの成果として特に注目されるのは、簡易検査を受けた方の半数にあたる約150件が、その後の特定健診を受診する予定、または既に受診したと回答している点です。元々健診に行かないような方が検査を受けて、健診に行っていただくというのは、大きな一歩だと手ごたえを感じました。さらに、簡易検査を受けた方のなかでリスクがあるとわかったのは20件弱でしたが、糖尿病・CDK対策推進ネットワーク会議を通じて松戸市医師会にも事前にこの取り組みのことを報告していたので、糖尿病専門医や地域のかかりつけ医の先生方にもスムーズに受け入れていただいている状況です。
―簡易検査をきっかけに市民が自身の健康状態に関心を持ち、健診受診という次のステップに進むという、事業の当初の目的がある程度達成されていることを示していると言えますね。
―この事業の課題などは何かあったのでしょうか。
初年度の実施を通じて課題も見えてきました。特に、協力薬局が9薬局であったために、市内の地域によって検査を受けられる薬局に偏りがあった点です。市民からは「近くの薬局で受けられないのか」といった意見も寄せられました。協力薬局を拡大することが今後の重要課題となりますが、この部分においても松戸市薬剤師会のご協力で紹介をしていただき、7年度は6薬局増え、合計15薬局で検査を行えるようになりました。市の力だけではできることが限られていますが、薬剤師会のようなこれまでのネットワークや、岩渕薬品さんのような協力してくださる企業さんと一体になって取り組んだことが、この事業の特徴のひとつだと思っています。
■市内全域、「面倒な」健診を乗り越えるために
―今後の展望を教えてください。
最も注力していきたいことは、実施薬局の拡大による地域偏りの解消です。松戸市は15地区に分けられていますが、将来的には全ての地区で、市民がいつでも気軽に検査を受けられる環境を整備し、「地域完結型」の健康支援体制を構築することを目指しています。糖尿病予防は、松戸市の新たな健康増進計画「健康まつど21フォー」の重点課題の一つに位置づけられています。簡易血糖検査はこの取り組みの「健康の入り口」であり、今後は検査だけでなく、運動や食事指導など多角的なアプローチを組み合わせることで、糖尿病の発症予防にさらに力を入れていく方針です。
左から
松戸市 健康医療部 健康推進課 松田様 長谷川様 浅井様
岩渕薬品株式会社 加藤様 萩谷様 檀谷様
※記事中の所属名等は、インタビュー当時(2025年5月27日)の名称です。
地域の薬局から重症化を防ぐ
―松戸市薬剤師会 横尾会長のお話―
薬局における簡易血糖検査事業を松戸市とともに取り組んだ松戸市薬剤師会会長 横尾洋様にも、事業に関してお話を伺いました。
■地域の医療課題を通じて生まれた市や医師会との連携
―薬剤師会と市の連携はいつ頃から始まったのでしょうか。
薬剤師会と市との連携は、前会長の代から強化されてきました。特に、コロナ禍においては、ワクチン集団接種や、抗原検査キットに関する協力など、薬剤師会が積極的に協力したことで連携がさらに進みました。また、松戸市は在宅医療が盛んな地域であることから、在宅医療を通じて医師会や行政との連携も生まれてきたという背景があります。今回のこの取り組みは、市と薬剤師会の連携に加えて、医師会や歯科医師会の協力も得られるようになってきていて、市、薬剤師会、医師会、歯科医師会の4者が連携して事業に取り組む体制に繋がっていると思います。
―薬剤師会は今回の事業にどのように関わってきたのでしょうか。
今回の事業については、2018年4月からスタートした松戸市糖尿病対策推進ネットワーク会議(現在は松戸市糖尿病・CKD対策推進ネットワーク会議)の流れを汲んでいます。この会議の中で、薬局で何かできることはないかという話になり、他地域の事例を紹介したことをきっかけに、市の方でも薬剤師会との連携を検討していたことと結びつき、今回の事業へと繋がった経緯があります。
薬局における簡易血糖検査事業では、薬局の検体測定室の機能を用いて簡易血糖検査(HbA1c)の無料測定サービスを提供しています。昨年度は、すでに測定機器を所有している薬局を中心とした9薬局でスタートしましたが、改めて薬剤師会内で事業趣旨を説明したところ新たに6薬局が機器を購入して参加してくれることになり、今年度は15薬局でスタートすることができました。協力してくれる薬局を増やすことが事業の実施には不可欠なため、薬剤師会としてはとても感謝しています。
―この事業に関する医師会や歯科医師会との連携について教えてください。
医師会との連携については、当初賛同いただけるか心配したものの、この事業は検査で疑わしい人をしっかり医療機関に繋げるという役割があるため、医師会からも理解と協力を得られていると感じています。推進ネットワーク会議でも、薬剤師会が一生懸命やっているのだから医師会も頑張らなくてはならないという話が出たほど、良好な関係が築けています。薬局は医療機関よりもハードルが低く、患者さんが気軽に測定できるため、そこから医療機関に繋げられるという点も評価されています。
また、口腔衛生と糖尿病には密接な関係があることから、歯科医師の先生方も関心を持ってくれているようです。この事業を通して歯科医師会との連携がさらに深まることを期待しています。
―薬剤師会から見た事業の意義と課題について教えてください。
この事業の意義としては、まず市民の健康意識の向上、健診受診の奨励への繋がり、そして糖尿病患者の早期発見が挙げられます。薬局としての収益的なメリットはそれほど大きいとは感じられませんが、地域への貢献、かかりつけ薬局機能のアピール、患者さんとの信頼関係の構築などの面で大きなメリットを感じています。
この事業の課題としては、松戸市側と同様で薬局の場所が偏っている点や、調剤業務で忙しい中での測定対応など、薬局側の負担が少なくない点が挙げられています。ただ昨年度の実績を示すことで、業務多忙のため当初は参加を見送っていた薬局も、今年度から参加を決めるなどの動きもありました。
今後もこの事業を通して、健診への受診勧奨、また、糖尿病の疑いがある患者さんが見つかった際には、薬局から医療機関へ受診を促し、重症化を防ぐことができれば、薬局薬剤師にとっても意義のある活動だと思います。
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